自慰表明―専手宣誓byLO編集部より

無事出ましたの報告と、今月もどうぞよろしくのごあいさつ。
梅雨明けの海の家、カッと照りつける真夏の強い日差しに映える少女が目印です。
夏の夜、情熱的に燃え上がる皆様のオナニーにも充分耐えうる作りになってますので、よろしくお願いします。
編集部のTさんNさんとの雑談の中で、アフリカで対レイプ用のコンドームが開発されたというニュースが話題になり(元々はB級ホラー映画の「キラーコンドーム」の話から)、レイプに対抗する必要からコンドームが開発される文化というか、「性に関する文化間のギャップ」なんて事に考えが至りまして。
『漫画でオナニーする』とゆー行為は、日本においてはスタンダードとは言わないまでも「まぁ普通よね」「エロ漫画なんてものがあるくらいなもんだし」くらいなモノだと思うのですが、それこそアフリカとか、「エロマンガ的なもの」が無い(多分)土地環境においてはそっちのがアブノーマルだよなぁとか思ったり。え!?お前漫画でヌけんの?絵だぜ!?ヤッた方が早いじゃん!!的な、いわゆる「リア充」的な考え方とはまた違う、「絵でオナニーする」というのがあまりピンと来ない環境というか。
一方でインターネットを廻っていると、海の向こうのエロ漫画事情も断片的に入ってきまして。フリ○トストーンやのエロパロなんかもあるらしいですが、それでは抜けない自分を思うと、「絵/漫画でオナニー出来る文化」間でも感覚の違いがあるし。難しいッスねぇ…。
(その後話は各国のチンコ、日本人のチンコの話になり、日本人のチンコは「TPOに応じて伸縮自在」、「過剰梱”包”で劣悪な環境(高温多湿)や突然の衝撃にも強い」「高性能、高品質で安心のmade in JAPAN」という、エロ漫画編集’sらしい話題へと移って行きました。多分こーいうネタはどこの国に行っても盛り上がるんだろうなー)
何が言いたいかというと、レイプはいけませんという話です。漫画の中だから許される話で。
折角なんでもう一つ…、「引用」に関する話を。たまにしか書かないから話が長くなる。
外山滋比古さんという方の「エディターシップ」という本の中に”引用”について触れた部分がありまして、うろ覚えかつざっくりしたまとめで言うと「元々Xという文脈で書かれたAという作品を、Yという異なる文脈において用いることで、A’という新たな意味を持たせることができる」のが「引用」であり、何をどういう文脈に配置するかが編集の手腕である、といった内容だった(と思う)のですが、
話は飛びましてスチャダラパーという日本のラッパー3人組の曲の話。
もはやベテランの彼らが91年にリリースしたアルバム「タワーリング・ナンセンス」ちゅーアルバムの中に”ボーズBar「Yo!国際Hah」の巻”、”フィクション大魔境”ちゅー曲がありまして、それぞれ”海外(とりわけ欧米)に正しさや格好良さの基準を求める人”、”フィクションに対する態度”について強烈に皮肉ってるんですが(ここら辺の「曲の狙い」的なモノのとらえ方は個人の感想です。念のため)、
これらの曲を彼らが作った当時も恐らく皮肉りたくなるような雰囲気があったんでしょうが、2010年の今聞いても思い当たるようなフシがあって、20年近く経っても異なる文脈で生きるような作品を出すっちゅーのは、上手く日本人のツボを突いてるというか、これが20年音楽で飯を食う人間の実力かー…とか改めて感心したり。引用で新たな意味を与える、という当初の話とは少しズレますけれども。
「引用」は割と面白くて難しいテーマで、ぼんやり色々考えたいなぁと思ってます。
長くなりましたが編集Kaでした。皆様良いオナニーを(「長寿と繁栄を」のポーズで)。












